自己紹介


名前:国光 優之(くにみつまさゆき)

住所:
 高知県高知市

職業:
 某・自動車販売会社(ばればれ?)

E-Mail:
 gga01172@nifty.ne.jp

生年月日:
 10/24。永遠の25歳。

趣味:
 通信全般、ゲーム全般、車関連などなど。特にマジック:ザ・ギャザリング(MTG)にハマッテいまして、高知市近辺のマジック関連のイベントにはかなりの確率で出現している模様。

ハンドルネーム(LANCER)の由来:
 1970年代に登場した三菱ランサー(型式A73)がその由来。ほとんどの方がエボリューションモデルである現行ランサーを想像されるでしょうが。(^^;)もうこのハンドルネームを名乗って何年経ったかなぁ?少なくても、私のプレイするゲームの主人公のネーム入れは中学生のときからこれ。(^^;)

愛車歴:
 ミニカを3台乗り継いだ後、ギャラン、ディアマンテ、そしてパジェロと三菱車の乗り換え王道を走ってきたが、昨年末、営業で使用するために3年間で9万キロを走行するという激務のために、どんな良い車を乗っても5年経てば廃車同然の値段となる事に気がつき、このさい営業車と割り切って現在の営業所に長期在庫で眠っていたランサー1500MXサルーンに代替え。もちろん、安く買っただよ。
 ハンドルネームがLANCERであるにも関わらず、初めての愛車ランサーであったりする。(笑)

パソコン歴:
 初めての愛機となったのはポケットコンピュータの名機?シャープPC-1210が最初。中学2年だったかなぁ?このマシンはポケコンでありながらBASICを搭載していたいかした奴でした。ユーザーメモリーは1Kバイト。
 次のマシンは日本のパソコン界の草分け、PC-8001(無印)。既に購入したときは次世代のPC-8801が発表されていたが、貧乏な私にはその差額約7万円が痛かった。このマシンはその後高校卒業まで現役として活躍してもらいました。ユーザーメモリーは約26Kバイト。
 実は、ここからパソコンから一旦撤退しています。で、次に買ったのがPC-286VF。私をパソ通引きずりこんだマシンです。これはいろいろいじり倒しました。サイリックスCPUの搭載などで延命しながら4年間がんばってくれました。ユーザーメモリーは4Mバイト。
 さすがに286VF改マシンでは、辛さを感じたので友人の勤務するパソコンショップの長期在庫マシンを安価で購入。PC-486GFがそれ。購入して即座にサイリックス486DX2を搭載して、活躍してくれました。ユーザーメモリーは9Mバイト。
 が、時は既にWINの時代。WINとなると、98系にこだわる必要もなく、土建屋の友人の勧めもあってAT互換機に乗り換え。それもいきなり自作マシン。しかし、自作マシンの面白さも進行形で味わっています。現在、セレロン400、128M。

コンピューターゲーム歴:
 アーケードゲームに関してはブロック崩しの時代からリアルタイムで体験してきています。そうですねー、小学生の頃からのお付き合いになりますか?特にドライブゲームには目がなく、新作があると即座にプレイします。
 コンシュマー系はやはりファミリーコンピューターからですね。初代モデルが出たときから飛びつき、その後各社から発売される新ハードを次々買い漁って今に至っています。
 今までで一番感動したゲームは、何といってもアーケードのナムコのポールポジション。いくらお金突っ込んだか分かりません。(^^;)

マジック:ザ・ギャザリング:
 1996年8月から始めたマジック:ザ・ギャザリングにはまっていて、1998年からは高知のM:TG関連のイベントではスタッフとして出現している事が多くなりました。 自分がマジックの初めてのトーナメントに出場したのは96/9の事。その頃は基本セットの4thとクロニクル、それも日本語版しか持っていない状態での出場でした。その頃の私は、緑赤のステロイド系のデッキを愛用していて、「灰色熊アタック!巨大化、巨大化、血の渇き!」と、今から考えるとカードの経済性が余りにも悪い攻撃を頻繁にしていました。当然、デッキの枚数も肥大化デッキで、「今日は一生懸命しぼって67枚だぁ」なんてたわけた事も言っていましたっけ。(^^;)

 一気にのめり込む切っ掛けになったのが、97/2、香川の大魔神、森崎氏との出会いがあげられます。当時彼は日本ランキング2位のプレイヤーで、中四国のトーナメントを軒並み上位に食い込む強豪プレイヤーでした。彼に出会って、本当に強いデッキの作り方を知ったような気がします。
 事実、彼に出会って1ヶ月後の丸亀で行われた公式戦は、あれよあれよと言う間に上位陣を叩き潰し、気がつけば決勝戦。ここで多くのギャラリーに囲まれたプレイ環境で、プレッシャーに負けて惜敗。しかし、強豪の中での真剣勝負の中で、「本当に強くなる事」に取りつかれたギャ猿が誕生したのでした。
 その後、2000年は酔拳の力を借りて念願の日本選手権本戦に駒を進めるも、本戦場でビールを見つけることが出来ずに惨敗。同年の香港でで行われたAPACにスタッフとして参加して、Judgeとして生きていくことを決意。2001年春に日本で5人目のLv3ジャッジに仮合格をしました。 これからは西日本を中心としたMTGイベントに出現することが多くなりそうです。


2000年日本選手権中国地区予選にて酔拳を発動して本戦出場権GETした直後の私

 

 

2002年02月02日 更新

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